■思い出



夕飯に、ひどく懐かしい、素朴なメニューが添えられた。
以前上陸した島で手に入れたのだとコックは言う。

菜の花のお浸し。

子供の頃、まだ蕾のついたばかりのそれを摘んで、母親に手渡したことを思い出す。
菜の花、菊、たんぽぽに土筆。
俺の育った村では当たり前に野道に生えていて、子供達が摘んで帰れば、母親が決まってそれをお浸しにして夕飯に並べた。
銀杏を20個摘むまで帰って来るな、とか。
しその葉を育てろ、とか。
悪いことをしたときの罰も、そんなお仕置きばかり。
コックの出したお浸しは、思い出の味のまま、俺の舌に馴染んだ。

「もっとねェのか、コレ」

「貴重な食材を分けてもらったんだ。それで終わりだよ」

コックは意外そうな顔をして俺を見たが、すぐにルフィたちのお守りに戻ってしまった。
貴重な食材、ね。
俺の村では雑草のように幾らでも生えていたものだが、海で育ったコックにとって、きっと菜の花は稀有な食材で、雑草などとは思いもしないのだろう。
見せてやりたいな、と思う。
春先、辺りを一面黄色く染める、菜の花畑。
黄色い頭のコックはきっと浮かれてはしゃいで、菜の花に埋もれてどこにいるのか分からなくなりそうだ。

「何笑ってんだ、気色悪ィ」

「や、別に」

「菜の花、そんなに美味かったか?」

珍しく素直に笑ってコックが訊いてくるので、俺も珍しく素直な気持ちで答えた。

「懐かしかった。ご馳走さん」

すると菜の花色の頭が揺れて、キッチンを出て行こうとした俺を、コックが追い駆けて来る。

「懐かしい?」

「あー」

「よく食ったのか?」

「お前ルフィたちの世話いいのか」

「訊いてんだろ、お前菜の花好きなのか」

好きかと言われればそうでもない。
あまりにも当たり前に食べていたものだ。改めて好物にする必要などないほど、頻繁に。
けれど海に出てからは、一度も口にしたことがなくて。
ただ懐かしく、ただ美味かった。

「俺の故郷にな、山ほど咲いてたんだよ、菜の花」

「マジで?」

「買う必要なんかなかったほどな。だから懐かしかった」

郷愁なんて女々しいものは、感じたことなどなかったけれど。
前を見すぎて、振り返ることを忘れていて。
立ち止まる余裕すらなく走り続けて。
あの一面の黄色は、遥か彼方。

今はまだ、その時ではないけれど。

「見てみてぇな、俺も」

思い出させてくれたコックに、感謝しよう。

「いつか、な」

あの菜の花畑は、今、俺の目の前にも、あるから。






■手



剣士の手は戦う者の手。
筋張って乾いた、太く長い指。
両の手のひらには、刀の握りダコ。

航海士の手は女の手。
鮮やかに塗られた長い爪に、白い甲。
右の手のひらには、ペンの握りダコ。

狙撃手の手は生み出す者の手。
器用に動くその指は、いつも擦り傷だらけ。
左の手のひらには、パチンコの握りダコ。

考古学者の手は不思議な手。
花の様に咲く手はどれも、白百合のように美しい。
どちらの手にも、タコなんてない。

船医の手は癒す者の手。
硬い蹄は、思いの外優しく温かい。
タコは出来ないけれど、蹄は少し削れている。

船長の手は王者の手。
どこまでも伸びるその手で、仲間と未来を抱き締める。
固く握られた拳を開けば、無数の傷と、全てを掴む掴みダコ。

炊事で荒れたこの手にも。
夢が宿り、人を喜ばす。
右の手のひらには包丁の握りダコ。






■兄弟



妖艶な長女。
しっかり者の次女。

奔放な三男。
優しい四男。
甘えん坊の末っ子。

「美しく完璧な長男、どうしようもないロクデナシの次男」

「ロクデナシの次男はテメェだろ」

どっちが年上だなんて。
全く意味のないことだけれど。

長女は読書。
次女は海図。
三男は船首。
四男は発明。
末っ子は調合。
長男と次男は大喧嘩。

七人の兄弟は今日も仲良く、海を行く。






■嘘つき



「それは生き物か?」

「ああ、生き物だ」

「それは食えるか?」

「生きてるものに食えねェものはねェよ」

「じゃ、テメェは食うか?」

「真っ先に、食っちまいてェな」

「それは人間か?」

「と、言えなくもない」

「男か?」

「どちらかと言えばな」

「テメェのことをよく知ってるヤツか」

「多分」

「テメェはそいつのこと、よく知ってるか」

「ケツのホクロの数まで知ってんぜ」

「そいつはテメェのことが好きか」

「死ぬほど好きなんじゃねェ?」

「テメェはそいつが好きか」

「愛しちまってるよ、クソ野郎」

「そいつを色で例えると」

「…ミドリ」

「……」

「さァ、質問10回終わりだ。答えは?」



「…俺」



「ぶー、残念」



じゃ、誰だよクソコック。






■その理由



煙草を吸うのは。
擦ったマッチの燻る匂いが好きだから。
軽い酩酊と、充足と安息と活力を得られるから。
致死量なんてとうに超えた。
けれど吸えないくらいなら死んだ方がマシで。
ゆっくりと確実に身体を蝕む酩酊に、身を任せるのが好きだから。

ネクタイを締めるのは。
襟筋を通す感触が好きだから。
苦しいくらいに締め上げて、くだらない怠惰から身を守れるから。
炊事をするには邪魔すぎて、戦うには不似合いで。
海の上では褒めてくれるレディも限られてしまうけど。
一日の始まりに、自分の役割を明確にしてくれるのが好きだから。

料理をするのは。
俺が生きる、唯一の理由だから。
仲間が喜ぶ顔が、何より好きだから。
カミサマから貰ったこの両腕は、他の何にも役に立たなくて。
包丁を握り、鍋を振り、皿に盛り付けるためだけに存在していて。
カミサマから貰ったこのココロは、それだけを糧にして生きているから。
航海も、冒険も、夢も、仲間も。
全て、料理をするためだから。


こうして、モノゴトにはみんな、理由があって。
俺自身のことに、俺自身が答えられないはずはないんだけど。

テメェを選んだ理由だけ、どうしても分からねェんだよ。

お前、その理由を知らねェか?






■特訓



「もっとだ!根性見せろ!」

「んんんん!」

今日も今日とて、平和でヒマを持て余すGM号。
船長とコックが、船首でまたバカな暇つぶしをしている。

「肉、食わしてやるから!だからもっとガンバレ!」

「肉!」

エサに釣られて、伸ばしに伸ばした船長の腕。
船首から甲板へ、甲板から倉庫へ。
倉庫から…多分、女部屋へ。

「手応えアリ!」

「引き上げろ!!」

シュルンと音を立てて戻ってきた船長の手首。
その先には。

「アアア、ナミさんの勝負パンツー!!」

お前な、サンジ。
未来の海賊王に、一体何をやらせてんだ。






■見守る者



私は、彼の抱える夢が何であるのかよく知らない。
接触が多いようでいて、一番距離があるのが、彼と私。
私は彼の、料理人の顔しか見たことがない。
申し分のない食事に、隙のない給仕。
当たり前のように繰り返される、一日三度の。
彼の、時間。

この船で、一番の夢追い人は彼かもしれないわね、と。
オレンジ色の少女は言う。
船長の少年は、海賊王に。
剣士の青年は、大剣豪に。
狙撃手の少年も、船医の少年も、そしてこの少女も。
みんな、掴める可能性がある夢を見ている。
かつて成し遂げた先人がいる、とか。
目標とする人物がいる、とか。
努力を怠らなければ必ず叶う、とか。
どれも壮大な夢ではあるけれど、雲を掴むような話ではない。
確固たる、現実が伴った夢。
けれど。
あの料理人の青年だけが、違うのだと。
誰も発見したことのない、あるかどうかも疑わしい海を求めているのだと。
オレンジの少女は、笑って言った。
けれど、嘲笑ってはいなくて。
優しく、微笑って言った。

普段の生活を見る限り、彼はその夢を表に出したりしない。
彼は職務に忠実な、優秀な料理人で。
戦うこともあれば、笑うことも、泣くこともあるけれど。
いつだってそれは、料理人という立場の上から着る、彼の顔。

素顔の彼は、どこにいるのかしら。
本当の彼は、どんな顔をしているのかしら。

ずっと、そう思っていたけれど。
キッチンに佇む彼を見るうち、その考えは姿を変えた。

楽しそうに、嬉しそうに、色とりどりの食材と戯れて。
その顔は、誰よりも生き生きとして、輝いて。

きっと、彼の最大の夢は、もう叶っている。
誰よりも早く、誰よりも確実に。
彼は夢を見、そしてそれを叶えた。


コックになること。
コックとして、みんなに愛されること。


それが、あなたの最大の夢。

そうでしょう?






■バカ




ワカメ酒って知ってるか。
そう訊かれたサンジは、職業柄、知らないとは言えずに見栄を張ってしまった。

「ああ、アレは美味いぜ。絶品だ。貧乏侍のお前にゃ、ちと手が出ない代物さ」

本当は、聞いたことも見たことも、もちろん飲んだこともない。
ワカメ酒と言うからには、マムシ酒のように、瓶の中にワカメが漂っているのか、くらいの想像しか出来ない。
ウソを吐くのはいただけないが、コックと言う立場上、食材に関して無知なのは罪である。
目は若干泳いでいたものの、サンジはいとも容易く、見栄を張った。

「ヘェ、テメェは飲んだことがあんのか」

「モチロン」

「美味かったか」

「そう言ってんだろ」

「また飲みてェか」

「あー、手に入るもんならな」

執拗な剣士の追及を、サラリとかわす。
この剣士、余程そのワカメ酒とやらに興味があるらしい。
ウソとはいえ、剣士より優位に立つことは気持ちイイ。
それと同時に、そんなに飲みたいなら、いつか飲ませてやりてェな、と思った。

「実はな、コック」

ニヤリと笑った顔は、魔獣そのもの。
なぜかサンジの手首を力いっぱい握り締め、なぜかなぜか、笑ってる。

「あるんだ、ここに」

言うが早いか、魔獣は自らのズボンをズリ下げて。
その場に正座して、閉じた両足の間に。正確には股間に。
サンジの大事な、取って置きの日本酒を。
惜しげもなく豪快に、ソコへ垂らした。

「な!何してんだ、テメェ!」

「好物なんだろ?ワカメ酒」

その顔は。
魔獣から更に、オヤジにまで進化していた。
そのオヤジの股間に溜った、芳香な日本酒。
その中でたゆとう、縮れた…ワカメ?

「さァ飲め!好きなだけ啜れ!」

ワカメはワカメであってマリモじゃなくてワカメであってでも目の前のマリモはワカメでワカメがマリモでマリモがワカメで。

「テメェが飲んだら、次は俺が、錦糸玉子酒をいただく番だ」

マリモはワカメで。
錦糸玉子は。

揺れるワカメと、己の股間の錦糸玉子に想いを馳せて。

もう二度と、くだらぬ見栄は張るまいと、サンジは固く決心した。





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