■応援 俺様、泣く子も笑うキャプテンウソップ様は、いつも、どちらかと言えばサンジの味方である。 アイツが言っていることは、大体にして正しく真っ当な意見であることが多いからだ。 もちろん、解せない理由で八つ当たりしている時もあるし、感情のままに怒り狂っている場合もある。 しかし、基本的にサンジは、人間が人間らしくいるための常識を、説いていることが多いのだ。 朝起きたら毛布を畳め、とか。 キチンと顔を洗って歯を磨け、とか。 食事の時間には遅れるな、とか。 感謝と謝罪の言葉を忘れるな、とか。 風呂場に入る時はノックしろ、とか。 酒を浴びるほど呑むな、とか。 それに対して、あーとかうーとか適当に流した後、ウルセェ、とキレるゾロの方が、圧倒的に悪いと思う。極悪だ。 海賊なんだから、人に指図されず自由気ままに過ごしたい気持ちは分かる。 だが、集団生活においてやはり規律というものは重要なのだ。 現に今。 俺様自身、ゾロの気ままな行動によって、迷惑を被っているのだから。 コレを発見したのがサンジだったら。 速攻でこの場を飛び出し、マリモの脳天に踵落しをキメているに違いない。 だが今の俺様には、泣く泣くその後処理をすることしか出来ず。 俺は思う。 この船のあらゆる規則を取り締まるサンジは、自ら憎まれ役を買ってくれているのだ。 言いたくても言えない、俺や…トナカイのために。 だから俺はいつもサンジの味方だ。 応援することくらいしか出来ねェが、お前が正しいことはよく知っている。 「オイ、ウソップ?」 「サンジ…」 後処理をしようとした俺の前に、正義の風紀委員が現れた。 今の俺の顔、情けねェだろ? 泣きそうなくらい悲しげだろ? 聡いサンジは、俺の顔と現場を見て、瞬時に行動を起こした。 「クソは流せ!クソマリモ!!」 まるで、疾風のように。 ああ、サンジ。 俺は未来永劫、お前の味方だ。 ■夏 コックは夏島が苦手だ。 モコモコでヘバっているトナカイを、暑苦しいと追いやって。 その顔が暑苦しいと、長っ鼻を蹴り飛ばし。 その存在が鬱陶しいと、剣士を海へ投げ捨てる。 イライラする自分を見せたくないのか、ナミやロビンにはあまり近付かない。 そして何となく。 何となく、いつも涼しげな船長の傍に腰を下ろす。 船長は、暑さに弱いゴム製であるにも関わらず、次の冒険へ向けてニコニコニコニコ、爽やかに笑っているから。 茹った頭を冷やすには、船長の傍らが一番最適。 「なー、暑ィなー」 「ん?そうか?」 ここで、ああ暑いな、なんて返されてはイヤなのだ。 だからやっぱり船長はイイ。 「コレ、脱いじまおうかなー」 「脱ぐと焼けるだろ?お前は止めておいた方がいいぞ」 自分でも暑苦しい長袖のシャツは、やむを得ないから着用しているわけで。 あー脱げ脱げ、なんて言わない船長は、やっぱりやっぱり、イイ。 「食欲もねェなー。晩飯何にすっかなー」 「こーゆー時こそ肉だぞ、サンジ!」 ソーメンかなんかでいー、とか言われたら蹴り殺してやりたくなるのだ。 船長は本当に、イイ。 「ルフィー、アイシテルぜー」 「おう、俺もアイシテルぞ!」 「…テメェも暑っ苦しいわ!!」 暑さに弱いコックの逆鱗は、果てしなく難しい。 「オイ、チョッパー、お前は何て言ったんだ?」 「暑いなって言われたから、うん、暑いなって…」 「お前は?ゾロ」 「暑っ苦しいから、そのシャツ脱げって。テメェは、ウソップ」 「ソーメンでいいって…」 暑いな、も。 シャツも、ソーメンも。 そして愛の言葉さえ。 夏場のコックの扱いは、本当に難しい。 ■「オネーサン」 つい先程まで敵方だった、素敵な素敵なレディが仲間になった日。 彼女のために、いつもより垢抜けた食卓を歓迎の贈り物にしようと、コックは張り切っていた。 張り切りすぎて料理にのめり込み、肝心の彼女がキッチンに入ってきたことにすら気付かない。 まだ新鮮な野菜たちを愛しげに撫で、愛情を込めて刻んでゆく。 パプリカ、トマト、ズッキーニ。 ニンジン、ナス、アンティチョーク。 瑞々しいダイコンは、年頃のレディの足のように引き締まって、「大根足」という言葉は褒め言葉に違いない、などと思っていたそのとき。 「楽しそうね」 黒髪が、さらり。 慌てて振り向いたコックが可笑しかったのか、彼女は微笑む。 「ああレディ、お待たせして申し訳ありません。喉でも?」 「ええ、お水を頂けるかしら」 「少々お時間頂ければ、水より数倍美味くて栄養満点のドリンクをご用意しますよ」 「それは楽しみね。お願いするわ」 彼女の名はニコ・ロビン。 サンジよりもだいぶ年上なようだが、その肌も髪も、若々しく輝いている。 「あなたがコックさんなのね。お名前は?」 「あなたのサンジです。食事のご要望は何なりと」 恭しく紳士を気取ると、ロビンはまたも可笑しそうに笑った。 彼女から見たら、自分などまだ可愛いでしかない子供なのだろうか。 サンジはロビンの妖艶さに圧倒されながら、少しだけドキドキした。 「ねぇ、もしかしてあなた」 「はい?」 「クソレストラン?」 小首を傾げて問うロビンは、素そのものだ。 「は?」 「クロコダイルに言ってたじゃない。中々痛快な電話だったわ」 また、可笑しそうに。 けれど、悪い気はしない。 それは彼女に悪気がなくて、その笑みはバカにしたものではなく、ただただ可笑しそうなものだったから。 まるで箸が転がっても面白い、少女のような。 それを可愛らしいと思っては、失礼だろうか。 サンジはアラバスタで仕入れたグレープを絞り、甘味と酸味を足して、グラスに注いだ。 この年上のレディは。 何だかとても、可愛らしい。 「どうぞ、ロビンちゃん」 初めてその名を口にすると、ロビンは驚いたようにサンジを見詰めて。 そして、笑った。 「初めてそんな風に呼ばれたわ」 「失礼でしたか?」 「いいえ、嬉しいわ。コックさん」 辛く重い人生を自らに課してきたのだろう、この年上の女性に。 サンジは敬意と愛情を込めて、その名を呼ぶ。 コックの前では、みんな子供でいていいのだ。 お子様ランチを指差すような、ワクワクした子供で。 「美味しいわ」 「ディナーも楽しみにしててね」 パプリカ、トマト、ズッキーニ。 お腹を空かせた子供達が、コックさんを待っている。 ■家 サンジは世話焼きだ。 周りからも感謝を込めてそう呼ばれているし、本人も渋々ながら認めている。 他人が不得手なことを不器用な仕種でこなそうとしていれば、つい手が出るし(たまに足も出る)、放ったらかしになっている日常の雑務は進んで片付ける(その時は一緒に口が出る)。 根が働き者なのだろう。そして少々お節介なのかもしれない。 しかし生活に無頓着なこの船では、彼の存在は煙たがれるどころか、心から有難く思われている。 洗濯をすれば、溜まっている他の者の分まで洗ってやる。 臭ぇだのだらしないだの喚きつつも。 キッチンは言うまでもなくいつも整然と片付いており、男部屋も主に彼が掃除している。 夜の遅いサンジが最後に使う風呂は、彼が上がった後一部の湿り気も帯びておらず、また彼の入浴の痕跡も見えないほどに整えられる。 料理も各々の好みに合わせて極上の味を提供するし、マメな給仕も、後片付けも、食材の買い付けも、全てサンジが当たり前のように受け持っている。 くるくる、くるくる。 彼は忙しく働き回る。 その細い体のどこにそんなパワーがあるのかと探りたくなるほどよく動く。 それに加えて、いざ戦闘ともなれば、彼は先陣を切る船長やそれに続く剣士よりも一歩引いた場所で、船と仲間を守る。 自らに襲い掛かる敵をあしらいながら、その目はいつも仲間の動きを追っており、後方で戦うナミやウソップの元へいつでも駆けつけられる距離を保ち続けるのだ。 それは本人も自覚しているかどうか分からないほど自然な行動で、彼が根っからの世話焼きなのだという証明でもあった。 「サンジくんも、損な性分よね」 今も彼が働いているだろうラウンジの扉を見上げながら、ナミは誰へともなしに呟いた。 それに返事をしたのは、今日もメリーの上でご機嫌な船長だ。 「サンジは好きでやってんだ」 そうかしら、とナミは思う。 確かに彼は天然の働き者だが、それを面倒に思う時もたまにはあるだろう。 だからといって、決して自分が手伝おうという発想へ結びつかないのは彼女が彼女たる所以であるが。 「メシ作って、洗濯して、掃除して。母ちゃんだよなぁ、あいつ」 ウソップの言葉に大いに頷く。 この船でのサンジの役割は、コックという領分をとうに越えて、クルーたちの母親的なものにまでなっている気がした。 家事をこなし、手のかかる子供を叱り、時には優しく宥め、その身を挺しても守ろうとする。大事な家を、家庭を、家族を。 そんなサンジにクルーたちは懐いて甘えて、キッチンに立つ彼の後姿を愛するのだ。 「よし!」 船長が良いこと思いついた、とばかりにその身を跳ねさせ、ナミの目の前で着地した。 「母の日だ!ナミ!」 「は?」 ナミが眉を顰めてその目を見ると、船長はすでに決定事項のように張り切っている。 「サンジに休みをやるんだ!」 「おう、いいかもな。日ごろの感謝を込めて、あいつに休んでもらおう!」 ウソップも乗り気だ。 「…面倒臭い」 ナミはどうせ彼らのフォローに回ることが目に見えているので、殊更賛同しかねた。 「おいナミ!サンジに一番世話になってるのはお前だろうが!ちっとはあいつを労われ!使い倒す気か!?」 何も頼んでしてもらっているわけではないが、確かにその言葉にも一理ある。 そして何より、サンジが喜んで笑う姿を見たいのはナミも同じだ。 「…ハイハイ。じゃあ、明日。母の日をしましょう」 「おう!俺は掃除をするぞ!」 この船長の口から、掃除する、という発言が出ただけでも驚きなのだが。 「じゃあ、俺は洗濯だ!」 器用なウソップなら、衣類を破くことなく洗濯するだろうが。 「じゃ、私は食事係ね。サンジくんにはとても敵わないけど、こういう機会だし。特別にタダでやってあげるわ」 その役割もこの面子なら当然なのだけれども。 「…俺は、何をすればいい」 素知らぬ顔で鍛錬を続けていた剣士が話題に入ってきて、ナミは心底驚いた。 そして何より、彼が母の日に協力的なことに度肝を抜かれた。 「…アンタ…」 信じられないものを見るようにゾロに視線を寄せると、彼は睨んでいるとしか思えない真剣な目で、自分の役割を問う。 「…アンタ、は…」 「サンジのお相手だ!!」 「そりゃいいぜ、ルフィ!決まりだ、ゾロはサンジのエスコート役だ!」 「ああ!?」 何も知らないサンジが、鼻歌混じりでラウンジを出てくる。 その手には、本日のおやつと紅茶。 翌朝。 朝食の準備にかかろうと、いつも通り夜明けに目覚めたサンジは、男部屋から出ようとしたところで身柄を拘束された。 何のつもりだと暴れ喚くコックを押さえ込むのは剣士の役割で、その騒音で他のクルーも目を覚ます。 「お、もう起きたのか!サンジ」 ハンモックから降りる船長に、サンジは何事かと怒鳴った。 「ししし!母の日だ!」 「母の日ぃ!?」 ウソップも降りてきて、ルフィの横に立つ。 そして二人で顔を見合わせ、頷いた。 「せーの」 「「「お母さん、いつもホントにありがとう!!」」」 二人の声に、サンジを羽交い絞めにしている野太い剣士の声も混じった。 そんなバカな。 「お!よく言えたな、ゾロ!」 「…テメェが言えって強要したんだろうが」 そんなルフィとゾロの遣り取りも、サンジには理解できない。 お母さん? 母の日? この船には、子持ちの母親など乗っていないし。 言われているのは自分だし。 おかしい。オカシイ。 「俺は!テメェらを生んだ覚えはねェぞー!!」 そりゃそうだ。 けれど。 ゴムと、鼻と、クソマリモ。 みんな、サンジが育ててやっている。 家族なんてものには、一生縁がないと思っていたけれど。 このバカな子供たちを、どうして可愛いと思わずにいられようか。 キッチンからは、温かい食事の香り。 あの中にいる、オレンジ色の少女だって。 可愛い、可愛い、サンジの子供。 ■朝 夜も明けきらぬ午前5時。 コックは自然に目を覚ます。 眠たいだとか、まだダルいだとか、もちろんそんな当たり前の目覚めだが、その誘惑に負けたことは今迄一度たりともない。 気合いと習慣で身を起こし、そっとハンモックを降りる。 まだ夢の中にいる仲間たちを起こさないよう一応気を使うが、ハンモックから落ちて床で熟睡している船長の顔を踏みつけてもコックは気にしない。 「邪魔だ」 尚も眠り続ける船長を転がしたままにして、コックは男部屋を出る。 マストを登り、蓋戸を閉める直前に仲間の寝顔を確認する。 床に涎を垂らして眠る船長に、ハンモックに丸まって可愛らしい寝息を立てる船医。 傍らに3本の刀を置いた剣士は、ソファでアホ面下げて熟睡中。 何の意図も意味もないが、毎朝こうして仲間の寝顔を確認する。 よく寝てるとか、鼾が煩いとか、意外と寝顔が可愛い、とか。 取り止めもないことを寝惚けた頭で考えながら、コックは甲板に出る。 波は穏やかで、今日も良く晴れそうだ。でも冬島が近いせいか、昨夜に増して肌寒い。 マストを見上げて、寝ずの見張り番に無言で感謝するのも、コックの習慣だった。 そのまま倉庫へ行き、シャワーを浴びる。 朝風呂に入るのは、紳士としての最低限のマナーだ。 寝乱れた髪や顔をレディの前に出すなどとんでもない。 これはコックの長年のポリシーだが、何分こんな早朝のことなので、誰一人この習慣を知るものはいないだろう。 サッパリしたところで髪に櫛を通し、真新しい糊の効いたシャツに腕を通す。 この瞬間がなんとも好きだ。 一日が始まるぞ、という気合いが入る。 最後にネクタイをカッチリ締めて、男前の完成。 これで顔にニキビでも出ていようものなら、コックは更に鏡の前で格闘するのだが、今日は実に問題のない姿だ。 軽い気分でラウンジへ上がり、湯を沸かす。 主に航海士に出す高価なコーヒー豆を挽いて、カップに注ぐ。2客分。 コックは見張りへの感謝を込めて、朝のこの一杯だけは航海士以外のためにこのコーヒー豆を挽くのだ。 それを1つ、見張り台で凍える狙撃手に差し入れる。 「おう、サンキュー!」 「あと1時間だ。しっかりな」 ラウンジに戻るとコックは本日1本目の煙草に火を点ける。 もう1客のカップは自分の為だ。 静かな朝に、こうして短い時間でも落ち着いた一時を過ごす。 もうすぐ騒がしいクルーたちが起きてきて、また騒々しくも楽しい一日が始まる。 コーヒーの香りを楽しみながら、煙草1本分の休息を終えると、コックはさてと、と立ち上がり袖を捲る。 午前6時。 キッチンには、柔らかな日差し。 7時前になると、クルーたちがワラワラと目覚め出す。 キッチンへ一番乗りするのは大抵航海士で、彼女はおはよう、と微笑みながら今日の天候を入念に分析して、航海の計画を立てる。 そんな彼女に最高の笑顔を返して、改めて彼女の為に挽いたコーヒーを差し出す。 船長の朝も意外に早い。 夜早く寝るせいもあるだろうが、航海士の次にキッチンへ飛び込んできて、今日の冒険に心を躍らせる。 その顔には一分の寝惚けはなくて、しっかり目覚めた笑顔で、コックに朝食を強請ったり、航海計画を航海士から聞き出したりと忙しい。 キッチンが騒がしくなり出すと、船医が目を擦りながら起きてくる。 まだ半分夢の中にいるような顔つきで、ちょこんと椅子に腰掛ける。 テーブルに皿が並べられていき、良い匂いが漂い出すと、ようやく昨夜の見張りがマストを降りてくる。 狙撃手は差し入れのカップや夜食の皿などを両手で持ち、足でキッチンのドアを開けて、それをコックに手渡す。 「美味かった、ありがとう」 受け取るコックは嬉しそうに笑って、お疲れさん、と朝食の席へ彼を促す。 焼き立ての手作りクロワッサンがバスケットに重ねられてテーブルに出されると、いただきますの合図だ。 待ち兼ねた船長が勢い良くフォークを握り締め、その先陣を切る。 その船長にはミルクを、航海士には特製の絞り立てオレンジジュースを、船医と狙撃手にはさっぱりとした温かいレモネードを。 ドリンクを配り終えると、コックは煙草を銜えて面倒臭そうにキッチンを出る。 「オラ、起きろ」 男部屋へ降りて、未だ熟睡の只中にいる剣士を蹴り起こす。 ついでに散らかった各自の毛布を畳み、各々のハンモックへ乗せておく。 蹴りの衝撃に咽ながら目を覚ました剣士の毛布も取り上げて、その埃がわざと剣士に向かうようにパタパタと振ってから畳む。 強制的に覚醒させられた剣士は凶悪な顔をしつつも、身を起こす。 「穏便に起こせないのか、クソコック」 「黙れ、寝腐れ剣士」 毎朝の言葉の応酬を終え、ラウンジに戻る。 船長に食べられないようにと、フライパンに残しておいた剣士の朝食を出してやり、航海士のものよりも遥かに安いコーヒーを注ぐ。 「いただきます」 低い声で手を合わせる剣士に、コックは何も言わない。 けれど、毎食繰り返されるこの言葉には、少々感心していた。 クルーたちの朝食が粗方片付き、デザートと食後の紅茶を淹れると、ようやくコックは自分のフォークを取る。 コックが遅い朝食を採る間、誰もラウンジから出て行こうとしない。 航海士が今日の計画を話したり、狙撃手が昨夜の見張りの様子を伝達したり。 船医は食べ終えた皿をシンクに運び、剣士は懲りずにまた舟を漕ぎ出す。 コックが食後の煙草に火を点ける頃になると、狙撃手は盛大に欠伸をして男部屋へ降りていく。 「ごちそーさん」 「ああ、オヤスミ」 午前8時。 船長は甲板に飛び出してメリーに腰掛け、航海士は日誌と海図を広げ出す。 船医は足りなくなった傷薬の調合を始め、剣士は床に転がって眠りを貪る。 コックはその様子を見ながら立ち上がり、シンクに置かれた洗い物を片付ける。 1枚1枚丁寧に、心を込めて。 使い慣れた食器たちにも、コックは感謝を忘れない。 午前9時。 ピカピカに磨かれたドライシンクに満足して、昼食の下拵えを終えたコックが甲板に出る。 肌寒いが、良く晴れている。 コックは物音を立てないように男部屋へ降り、洗濯盥を抱えて戻る。 狙撃手の平和な寝顔を見て扉を閉め、甲板で洗濯を始める。 シャツや靴下をゴシゴシやっていると、船長が盥の中の水で遊び始める。 「ヒャハハ、冷てー!!」 「当たり前だろ!邪魔すんな!!」 コックが船長を蹴り飛ばそうと足を伸ばしたところで、船医が調合中の薬を置いて目を輝かせる。 「ルフィ!楽しそうだな、俺も!俺も!」 「おう、来いチョッパー!冷たくて気持ちいいぞ!」 冷たい空気のことなどこれっぽちも気にしない船長は笑い、船医も笑う。 コックは溜息と共に煙を吐き出して、靴と靴下を脱ぐ。 「クソ、もうヤケクソだ!手伝え、二人とも!」 二人と一匹は寒空の下、盥に足を突っ込んで、器用に足で洗濯物を洗っていく。 時折コックが、そもそもこんなクセェもん俺の大事な手で洗えるか、と悪態をつきながら笑う。 盥の中には、六本の足で揉みくちゃにされている、剣士の腹巻。 洗い終えた洗濯物を甲板に干して、盛大に水浸しになった床をコックは拭う。 もう午前10時。 「サンジくーん、お茶飲みたいんだけどー!」 航海士がラウンジから顔を見せれば、喜び勇んで階段を昇る。 使い終えた雑巾を、ラウンジの入口に陣取って寝腐れる剣士の頭にポイと載せ、コックは丹念に丹念に手を洗う。 そしてヤカンを火にかけ、飴色の茶缶を取り出す。 漂う安らぎの香りに、コックは一時の幸せを得る。 午前11時になると、コックは昼食の準備に入る。 今日のメニューは、昨日船長が仕留めた大王イカをふんだんに使ったシーフードパスタ。 麺の固さはアルデンテ。仕上げにオリーブオイルと、一欠けらのガーリック。 香ばしい匂いが立ち込めれば、船長がキッチンへ飛び込んできて。 大の字で眠っていた剣士も、香りにつられて目を覚ます。 航海士は読んでいた今日の新聞を畳んで、船医はまだ寝惚け眼の狙撃手を連れてくる。 午後12時。 みんなで揃っていただきます。 さぁ、午後は何して遊ぼうか。 ■雨 しとしと、しとしと。 昨日から続く雨は、大人しいながらも、未だ止む気配を見せない。 こんな日は、バラティエを思い出すんだ。 雨の日は客が少なくて、日がな一日ボンヤリ過ごした。 昼なのに、窓の外は夕方みたいに暗くて、いつもより揺れる店内はシンと静まり返る。 ジジィの罵声もナリを潜めて、パティの鼻歌も、厨房に響く包丁の音も聴こえない。 冷蔵庫の食材たちも、所在無く寂しげで。 棚に収まったグラスがたてる、カチンという音が、とても大きくて。 そんな雨の日が、俺はとても嫌いだった。 「サンジー!メシー!!」 でも今は、そんなに嫌いじゃない。 雨だろうが槍だろうが、俺のキッチンはいつも賑やかだから。 超がつくほどの常連たちが、首を長くして食事を待っている。 ようこそ、俺のレストランへ。 雨の日には一層騒がしい、ここが今の俺の店。 ■夜 寝ずの見張り番は、およそ週に一度の当番制で巡ってくる。 船長はもちろん、ナミやロビンも例外されることなく、全員平等の持ち回り。 自分達の安全を確保する為なので、誰も不服は述べない。 見張り台で一人過ごす夜は、とても長くて静かで。 その静寂を楽しむ者もいるし、中にはついうたた寝してしまう者もいる。 夜の海は果てしなく暗くて、深くて。 各々、様々なことに想いを馳せる。 いつも騒がしい船上から、ぽっかりと抜け落ちたような、ひとりの時間。 異常なくらい大きな月と、穏やかな波に身を任せて。 この世に、たったひとりになったような。 昼間の笑い声が、幻だったような。 そんな気分になった時には、温かいマグカップを両手で包む。 淹れてくれた人間を想い、コーヒーの香りに酔って安心して。 静かな静かな、長い夜と、再び向き合う。 そしてコーヒーがすっかり冷めて、やるせない孤独に心が負けそうになった頃。 睨むように、見守るように、船を照らしていた月光は薄れていき。 終わることなどないかと思った夜が、ようやく終焉を告げて。 まるで世界の始まりのように、神々しく空が白んでいく。 そして。 朝の到来と同時に、見張り台には、新しいコーヒー。 太陽と同じ色した金髪が、微笑みながら労ってくれる。 待ち焦がれた、朝の光。 毎朝繰り返される、一日の終わりと始まり。 |