最果てへのコール |
これは、ないもの強請りか? 海の上にいると、日付を忘れる。 そうでなくても季節感のまるでない航路だ。 キッチンに貼られたカレンダーは、コックが船を降りたときから時が止まっている。 食事のたびに目に付くそれを、捲ろうとする者はいなかった。 船は行く。 あの奇跡の海を離れて、どれだけ経ったのか。 今はまだ、旅の途中。 昼寝の真っ只中に突然ピンヒールで腹を踏まれ、衝撃に起きてみればそこには魔女が。 笑っている。ものすごくナミが笑っている。 これは良くない。 嫌な予感満載で、ゾロは反射的に目を逸らした。 「ゾロ」 ピシ、と何かで頬を叩かれる。 目を掠めたそれは、白い封筒。 「…コックからか」 「ええ、そうよ」 ナミはその封筒でゾロの顎を撫で、気味悪く笑ったままだ。 「私と、ロビン宛てに。読みたい?」 そう言う顔が、あまりに楽しげだったので。 ゾロは背中を向けて、気にするまいとした。 関わったらロクな事にならないと、経験で知っている。 その態度が気に入らなかったのか、ナミはゾロの背中を尖った爪先で蹴った。 「あんたのこと、一行も書いてないわよ。あんた、ビックリするくらい完璧な片想いなのね」 言葉尻にバーカと付け加えて、ナミは踵を返した。 遠ざかるヒールの音を聞きながら、ゾロは怒る気にも、否定する気にもならない。 そうだ、知っている。 あのクソコックは、俺のことをマリモとしか認識していないことくらい。 何故だか急に、ナミに蹴られた背中が痛んで、ゾロは身体を丸めた。 キッチンから、ルフィが騒ぐ声が聞こえる。 もうすぐ昼食の時間だ。 今日の当番が誰だか知らないが、どうせロクなもんじゃない、とゾロは再び目を閉じた。 これは、ないもの強請りだ。 サンジは、いつも働いていた。 働く背中が楽しそうで、嬉しそうで、見ていると何だか温かい気持ちになった。 言葉は乱暴でも、彼はクルー達に優しかった。 例え相手が、ソリの合わないマリモ相手でも。 彼の作る食事はとても美味で、美しくて。 何でもっと、声を掛けなかったのだろう。 どうして「美味い」と言えなかったのだろう。 今になって、彼の存在の重さを思う。 別れの瞬間に好きになるなんて。 ほんとうに、どうかしている。 「『前略、ナミさんロビンちゃん』」 「俺は〜?」 「書いてあるわよ。『あと、おまけの野郎共』」 目を覚ますと、ナミがルフィにというよりも、寝ていたゾロに聞かせるように甲板で手紙を読み上げていた。 どっちにしろ読ませる気なら、最初から素直に読めば良いものを。 「『僕の愛しいレディたちに会えない日々は、それはもう塩のない握り飯の如き味気なさです』」 「その辺は飛ばせ」 「あらゾロ、起きてたの」 ナミはゾロを一瞥し、やっぱり読みたいんじゃないの、と鼻を鳴らした。 非常に可愛くないが、この際黙っていることにする。 「『俺は今、みんなと別れた場所にいます。小さいけれど、ちょっといい船が手に入り、レストランとして改装しました。一応海上レストランってやつ?まだ客はそう多くないけど、評判は上々です』 当ったり前よね」 「いいから、先」 「うっさいわね…『また近くに来たら立ち寄ってください。ラブーンと、みんなを待ってます。』」 「ラブーンか!あいつも元気だったよなー!」 「お前は黙ってろ、ルフィ」 「ぶー」 「『ご予約の際は、当店料理長サンジまで。最高のおもてなしを約束します』」 「料理長って、まだアイツしかいねェだろうに」 「『電伝虫番号5932−×××。あなたのサンジがいつでも待ってるよv では、どうか元気でレディたち。ゴムと鼻とトナカイとマリモにも、変なもん食って腹壊すなとお伝えください』」 「…書いてあるじゃねェか、俺のことも」 「…書いてあるっていうのかしら、これ」 手紙はそのままルフィに持ち去られ、ウソップやチョッパーに回された。 サンジがどんな字を書くのか、少し興味があったゾロは悔しかったが、取り返すほどのことでもない。 「ところでゾロ、もうすぐ島に着くんだけどね」 「あ?」 「結構賑やかな街があるらしいわよ」 「それが?」 「だから、そこならあるでしょ、多分」 「だからなにが」 察しの悪いゾロに愛想が尽きたのか、ナミはまたしてもバーカと言い残して立ち去った。 可愛くないにもほどがある。 そう思ったとき、甲板の床に手が生えて、ゾロは仰天した。 誰の仕業かは一目瞭然だが、いまだに慣れず心臓に悪い。 「なんだよ」 問いかけると手のひらに見覚えのある唇が現れた。非常にシュールな光景だ。 落ち着いた色合いで塗られた唇が、小さな声で呟いた。 「5932−×××」 顔を上げると、階段で微笑む年上の女。 耳に残るその番号を、ゾロは暗記した。 慣れないことはするもんじゃない、と思う。 でもどうしても。 伝えたい言葉があったから。 ナミの言葉通り、船は間もなく港へ着いた。 そこからゾロは、迷いに迷って(精神的にも肉体的にも)、ようやく公衆電伝虫に辿り着いた。 こんなもの、使ったことはない。 その場にいない誰かに伝えることなんて、何もなかったのだから。 けれど今は違うのだ。 別れの時にも、大した言葉を掛けられなかった自分。 感謝の言葉も、激励の言葉も、何も伝えられなかった。 そして、気付いた時には遅すぎた気持ちも。 どんなツラしてアイツに話し掛ければいいんだ、と未だ迷いはあるものの、急いた指が受話器を取ってしまった。 もう後には引けない。 大量に両替してきた小銭を、電伝虫に銜えさせて、頭にこびり付いた番号を回す。 暫しの静寂。 そして呼び出し音。 どれだけ離れたか知れないあの場所に、本当に繋がるのだろうか。 電伝虫というのは、本当に大したものだ。 ゾロが妙に感心して電伝虫のツノを突付いていると、突然呼び出し音が途切れた。 『はい、バラティエ"S"。ご予約で?』 懐かしい、聞き慣れた声。 煙草を銜えているのか、発音が聞き取りにくい。 「…クソレストランじゃねェのか」 『あ?』 「俺だ」 すると一息あって、サンジがゆっくりと煙を吐いたのが分かった。 『オレ様ですか?』 声が笑っている。 ああ、彼だ、とゾロは思った。 「そこで働いてる金髪のアホコックに伝言を頼みてェ」 『世にも美しい金髪の料理長ですね?承りましょう』 「お前のメシ、いつも美味かったってよ、伝えてくれ」 『…オウ』 「それとよ、また必ず顔出すから、それまで元気でやれってよ」 『…伝えとく』 「それだけだ。こっちもみんな相変わらずだ。じゃあ、な」 『おい!』 「俺は"オイ"様じゃねェぞ」 『…ゾロ』 「…ああ」 『ちゃんと食ってるか?』 「心配すんな」 『あのよ、なんでテメェが…』 プー、と。 小銭切れの警告音。 見れば電伝虫はそこに置いてあったはずの、大量の小銭をたいらげてしまっていた。 『ゾロ?』 「またかける。もう金がねェ」 『あ?…ああ』 彼の声が聞けて、よかった。 伝えたいことを伝えて、よかった。 名前を呼んでもらえて、よかった。 彼を好きになって、よかった。 「またな、サンジ」 さり気なさを装って。 一番言いたかったことを、最後に言った。 再会の約束と。 彼の名前を。 今度いつ会えるか知れないけれど。 ないもの強請りも、悪くはない。 だって、こんなにも胸が温かいのだから。 たとえ受話器の向こうで、コックが首を傾げていたとしても。 →side:S? |
遠恋(片想い)ZS。
まだ続きそうだねー。
お店の名前は、もちろんあのイラストから。