Whose turn is it? ≪6≫


目を開けてみれば、そこは、鬱蒼としたジャングルだった。
先ほどから、信じられないことの連続で。
思考が麻痺した頭では、自分の現状を把握するのも難しかった。
大洋の真ん中で船に揺られていたはずの自分が、なぜ今こんな場所にいるのか。
混乱した脳裏を整理しようと、サンジは努めて冷静に、煙草に火を点ける。
気が付いたら、ここにいた。
着のみ着のまま、まるで夢でも見ているような脈絡のなさで。
煙を深く吸い、ゆっくりと吐き、経緯を辿る。

思い出されるのは、すごろく盤。
古びたトランクのような形をして、観音開きに開いた面がすごろくになっていた、あの。
ルフィが釣り上げ、ウソップとチョッパーがキッチンで遊び出して。
それにゾロも加わり、自分はそれを横目に今日のおやつを製作中で。

「雷、蜘蛛、船イッパイの蔦と触手、豚になったチョッパー」

指折り、数える。
目の前で起きた、得体の知れない「何か」の所業。
あれがもし、夢だったのなら。
今こうして、見知らぬ密林にいる自分もまた、夢なのかもしれないが。
ふと、思い出す。
最後にサイコロを振ったのは、確かクソ剣士。
そのせいで、自分はここへやってきたような気がする。

「あり得ねェ…」

そんな夢を、自分が見るはずはない。
あの剣士が、サンジを最愛の者だと認めるような、そんな夢は。
だとしたら。
これは現実。

「オイ、そりゃもっとあり得ねェんじゃねェか…?」

独白は、ごく小さなものだったにも関わらず、辺りの木々に木霊した。
あの剣士が。喧嘩ばかりで、最もソリの合わない、あのマリモが。

「俺をアイしちゃってるぅ…!?」

ギャアア、と叫び出したい気分だった。
実際、叫んだかもしれない。
木々はその木霊にざわめき、サンジを飛び上がらせた。

「…とにかく、戻らねェと」

理解不能な出来事はひとまず棚上げしておいて、今現在の自分をなんとかせねば、とサンジは辺りを見回した。
右も左も分からない、方角なんて意味のない、延々と続くジャングル。
空は不気味に暗く、恐怖を呼び覚ますような大きな月が、血を滴らせるように輝いていた。
赤い月。
サンジは只事ならない胸騒ぎを感じて、立ちすくんだ。
動かない方がいいと思ったのは、条件反射か、冒険に慣れた者の勘だったか。
生唾を飲み、その場にへたり込むように腰を下ろす。
銜えた煙草はとうに灰になり、時間が流れていることを示す唯一の手がかりとなった。

「どうすっかね…」

常人なら、意味も分からずこんな場所へひとり飛ばされた恐怖に、気が触れていたかもしれない。
赤い月が監視するようにこちらを睨み、頂上の見えないほどに育った木々は、禍々しくその身を揺らし。
朝が来るのかも、出口があるのかも分からない、そんな場所。
しかしサンジは、気丈だった。
幼い頃体験した、あの岩場での遭難に比べたら、ここには木があり、土もある。
水は捜す必要があるが、木が育っているなら、どこかに地下水が湧き出ている可能性だってある。
それに、あの仲間達。
サンジが消えたなら、何が何でも探しに来るだろうという信頼感が、サンジを支えた。
特にあの剣士は。
自分の責任だと強く感じて、目を血走らせていることだろう。
その姿が容易に想像できて、サンジは笑った。
あの堅物の化身みたいな筋肉マニアが、自分に惚れていたと思ってみると、それはそれで愉快だった。痛快、というか。
ポッと心が温かくなった気がして、サンジは膝を抱えて、少し笑った。

「アイツ、俺が好きなんだってよ」

口に出してみると、言葉は跳ね返り、サンジの耳に戻った。
抱えた膝を抱く腕を強くして、サンジはまた笑った。







ゾロがそこへ辿り着いたとき、サンジは火を熾し、その傍らで眠りに就いていた。
すぐに巡り会えたことに安堵し、ゾロはその顔を覗き込んだ。
頬がこけ、痩身は更に痩せ細り。
けれど、顔色は悪くなかった。
サンジの手元には、手製なのか、葉っぱで包まれた不恰好な煙草らしきものが散らばり。
すぐ傍の木には、過ぎ去った日付を示すのだろう、たくさんのバツ印が刻まれていた。
数えてみると、それは365個。
元いた世界とは時の流れ方が違うのか。
サンジが姿を消してから半刻も経たぬうちに再会した気分だったゾロは、一気に青褪めた。

「起きろ」

そっと身を揺すると、サンジはこちらが驚くような勢いで、瞼を上げた。

「無事か?」

そう問うゾロの姿を、信じられないものを見る目付きで見、そして自らの頬を抓って、サンジは息を呑んだ。

「無事じゃねェよ、クソ野郎…」

ゆらりと身を起こし、凶暴な足を、ゾロの鳩尾に叩き込み。

「遅ェんだよクソマリモ!!こんな訳の分かんねェ場所で俺が一体何日ひとりでいたと思ってんだミドリハゲ!木の実木の根しか食いモンはねェし、いや、それだって俺様が料理してやったから最高の味付けだったけどよ、ナミさんはいねェしロビンちゃんもいねェし、来る日も来る日も自分の木霊と会話する寂しい日々だったんだぞ!!しまいにゃ煙草もねェからクソ不味い草で代用してよ、だが上手いことに煙草に向いた草の栽培に成功してよ、でもちょっとアレ、大麻に似てたな…ヤバイから手ェつけなかったけどよ、危うく大麻栽培しちまうところだったんだぞ!テメェのせいで!捕まったらどう責任とってくれんだクソバカ野郎!!」

長くひとりでいるうちに、すっかり独り言が癖になったか、サンジは止まらぬ罵言を吐きながら、ゾロに足を振り続けた。
ゾロは苦痛に呻いて、思わず反撃に出ようとしたが。
サンジの言葉を聴くうち、なんだか無性に可笑しくなって、プッと、吹き出した。
一度吹き出したら、笑いは治まらなくなった。

「あはは、あははははは、て、テメェはよ…あはは、逞しいなァ…ハハハハハ!」

こんな、狂った月の下で。
一年も、生きてきたというのか。

なのに気も触れず、火を熾し、食料を調理し、煙草を吸って。
一体、どれだけの苦痛を、サンジが味わったのか。
それは、想像も出来ないほどの恐ろしい日々だったことだろう。
しかし、今目の前にいるサンジは、ゾロがよく知るあのコックと、何ら変わりはなく。
寧ろアホさ加減が増して、可笑しくて、可笑しくて。
そして堪らなく、愛しくて。
その逞しさが、力強さが。
辛い現実から、ゾロを救い上げてくれるように、愛しくて。

笑い続けるゾロにキレたサンジが再び蹴りを繰り出しても、ゾロは笑い続けた。
そのうちサンジも、毒気を抜かれたように笑い出して。
腹を抱えて笑いながら、サンジは、少しだけ泣いた。
バカマリモクソマリモと罵りながら、泣き笑った。



嵐のような感情の遣り取りに一息つくと、サンジは木の枝で作った器にハーブティーを淹れ、ゾロに差し出した。

「すっかりココの暮らしに馴染んでるな」

そう揶揄うと、サンジは偉そうに踏ん反り返って、当たり前だと笑った。

「そう簡単にくたばる俺様じゃねェんだよ。木も草も、みんなコック様の下僕さ。実に優秀で、忠実ないい働きしてくれたぜ?」

その言葉に、ゾロはまたも、笑いたくなった。
本当に、何という強靭な精神を持った男。
この男なら、告げねばならない辛い現実も、笑い飛ばしてくれるかもしれない。
そうであることを、心から願った。

「悪ィが、迎えに来てやれた訳じゃねェんだ」

ゾロは、サンジの視線を正面から受け止めながら、これまでに起こった悲劇を話して聞かせた。
サンジは黙って、しかし目を背けることなく、最後まで聞いてくれた。

サンジがここで1年を過ごした時間は、まだ外の世界では半刻にも満たないこと。
あのゲームは今も続いていること。
ルフィが海に流されたこと。
ウソップが石になったこと。
ナミが冷たく凍りついてしまったこと。
チョッパーが丸焼きになってしまったこと。
船が浸水し始め、もう一刻の猶予もなく、沈没するだろうということ。
ゾロ自身がここへ来た経緯。
そして、たったひとり、耐え難い現実に残してきた、ロビン。

サンジは時折痛そうな顔をしながら、それでも俯きはしなかった。

「俺は、あの女を信じてる」

そう、ゾロが話を締めくくると、サンジは頷いて、同意した。

「レディをひとり置き去りにして頼るなんて、みっともねェが。ロビンちゃんは、強いから」

サンジは彼女のたおやかな姿を思い浮かべ、微笑んだ。

「テメェも来たし。あと1年くらい、ここにいるのも悪くねェ」

それは、彼一流の強がりだったけれども。
そうだな、とゾロは返して、笑った。
千切れてボロボロになった心が、この静かな空間で、癒されていくようだった。
ここは、自分達を苦しめるゲーム盤の中だというのに。

「な、ゾロ」

サンジが、名を呼び。

触ってもいいか、と呟いた。

「ああ」

たったひとりの1年は、やはり長すぎる。
サンジは、長らく忘れていた他人の肌の温かさに、触れたがっていた。
許しを得て、サンジは僅かに恥らいながら、ゾロの傍らに歩み寄って。
サンジの指が、ゾロの頬を辿り、首筋を滑り、逞しい二の腕を掴み、鼓動を刻む胸に触れ。

「他に、何も考えることがなくってよ…」

鼓動を確かめるように、ゾロの胸に耳を寄せ。

「他の事なんて、考えると絶望しちまいそうだったから」

目を閉じ、微笑み。

「ずっと、お前のことばっか考えてた。お前のこと考えてると、希望が持てた」

顔を上げ、ゾロと目を合わせて。

「俺を好きだって、あれ、本当?」

それだけが、心を温めてくれる糧だったと、サンジは言った。
毎日毎日ゾロのことを考えて、そのうち、ゾロのことしか考えられなくなって。

「頭ン中も、心ン中も、テメェでイッパイになっちまった」

そう言って、笑った。
笑って、また泣いた。
寂しかったと、止め処なく泣いた。

ゾロは何も言わず、言うことが出来ず、サンジの体を強く強く抱き締めた。

全て、自分のせいなのに。
ゾロが勝手にサンジに惚れて、そのせいで、こんなところに1年も、ひとりで。
なのに、この男は言うのだ。
会いたかったと、言って泣いてくれるのだ。

抱き締めて、他の言葉を忘れたように、囁き続けた。


好きだ 好きだ 好きだ…


目が合い、引き寄せられるように唇を重ね。
深く、深く。
ふたり一緒なら、ここにいるのも悪くない、と。
全てを忘れて、苦しみから抜け出して、ゾロがそう思ったとき。





「ジュマンジ!!」





何処からともなく、よく知った女の叫び声が響き。
辺りの木々に大きく木霊して。
やがて木霊は光になり、抱き合ったふたりを包み込み。

全てが、暗転した。



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