動物園にある悪いジョークのような、「ヒト」と書かれた檻。 ウソップはアクアリウムを漂う金髪を眺めながら、そんなことを思い出した。 船上とは思えぬ粋な空間に鎮座するこの巨大な水槽を、多くの仲間は「アクアリウム」と呼ぶ。作ったフランキーがそう言うのだから、公称とみて良いだろう。 だがサンジだけは、頑としてそれを「生簀」と呼んだ。食料を新鮮なまま保持することの出来る、画期的なシロモノだと。 ルフィやゾロは単に「水槽」と呼ぶ。そちらの方がまだ即物的でないが、作った人間のロマンチズムを汲み取ってもらいたいものだと、フランキーが何も言わぬ代わりにウソップはそう思っていた。 アクアリウムと呼ぶ人間は、その水槽を観賞する。だが生簀と呼ぶ人間は、自ら水槽に入り込んで食料を捕獲する。ゆえに期せずして、ウソップはアクアリウムを遊泳するサンジを観賞するハメになったのだ。 広い水槽を泳ぐ魚を上から網で掬うのは至難の業で、こうして「漁」をする方が手っ取り早いのは判るが、海パン1枚で格闘する料理人を楽しく眺めながら、ワイングラスを傾ける趣味はウソップにはない。何と言うか、絶妙にシュールな光景だ。 泳ぎが達者なのは判る。だが小魚に海パンをつつかれ、半ケツ晒しながら頬をパンパンに膨らませたサンジは、可哀相なほど滑稽だった。 「今日のお目当てはマグロかい?」 ガラス越しに声をかけてみるが、もちろん返答はない。その一方通行な感じが気に入って、ウソップは言葉を投げかけ続ける。 「俺は刺身より唐揚げが好きだな」 「おめー毛とか水槽に漂わすなよ」 「今日のナミのブラジャーは黒だったぞ。透けて見えたぞ」 「うちのサンちゃんはゾロに惚れてるってもっぱらの噂だぞ、マジか?」 ガラスの向こうに声は届いていないけれども、サンジはウソップの口が盛んに動いていることに気付いたようだ。 言葉の意味も解せず、ヘラリと笑ってまた漁に戻る。 「そうかい、惚れてんのかい」 勝手な解釈をして、悦に入る。笑った顔がバカっぽくて気に入る。 誰かが丸バツゲームをした跡が残ったチラシを取り上げて、裏の白紙にマジックで「サンジ・コック綱エロ目悪足科ヤニ中属金髪種、獰猛で几帳面」と書き込んでセロテープで水槽に貼り付けた。バカっぽい。 不審に思ったサンジが紙に近寄り、裏から何となく読んで、怒って暴れる。水の中なので一層バカっぽい。 「溺れてんのか」 ゾロがのっそりと入ってきて、水槽の中を面白そうに眺めるので、ウソップは解説してやった。 「あの幻の金髪種はな、おめーに惚れてんだとよ」 「マジかよ、おい可愛がってやるぞ」 ゾロは案外ジョークの通じる男なので、即座にウソップの遊びに加わった。ガラス越しに声をかけ、チュッとしてみせる。キモいが面白い。 サンジは更に怒り狂って、大量の酸素をガボッと口から吐いた。途端に息苦しくなって、出口に向かって慌てて浮上。それを見て人でなしは笑う。 「おいウソップ、上行って水槽の出口閉めて来いよ。重し乗せてな」 「うわー…お前ホントにろくでもねェな」 無論ウソップは実行したりはしないが、ゾロは不満そうだ。何というドS。 そしてチラシに「兄貴募集中」と書き加えて、ゾロは去って行った。見事な嫌がらせの連続ジャブだ。一分の隙もない。 学ぶところが多いなァ、とウソップが感心していると、酸素を得たサンジが再び水槽に現れた。不機嫌そうにグル眉をしかめて、魚を追うことに集中している。身の丈ほどのマグロを抱きかかえてはスルリと逃げられ、また追いかける。まるで奴のナンパの縮図を見るようだ。 そんな中で今度はナミとロビンが入ってきて、サンジの姿にひとしきり笑った。ナミの白いTシャツから、やっぱり黒いブラジャーが透けている。 「やだー、サンジくん可愛いー」 「珍種の人魚を捕まえて飼っているみたいね。眺めてお酒でも飲みたいわ」 当のサンジは途端に漁のことなど忘却の彼方で、ガラス越しに小鼻を膨らませて女どもに懐きだす。 ナミがツンツンとガラスを叩けば、そちらに泳ぎ寄ってナミの指を舐めようと口をぱくぱくする。ロビンが別の場所をつつけば、またそちらへ泳いでぱくぱく。翻弄されて漂う様は、本当にバカっぽいが幸せそうだった。 しばらくそんな遊びを繰り返して、ふとサンジが大きく目を見開き、ガボォッと派手に息を吐いて、ついでに鼻血まで噴いた。可愛いぱくぱく魚は慌てて再び浮上する。 「ナミ、お前の透け具合をサンジが発見しちまったぞ」 一応そうフォローすると、ナミは笑って、 「今日は一年に一度のサービスデーだもの」 などと嘯き、ロビンとクスクス笑って出て行った。何と効果的で安いプレゼントだ。学ぶべきところが多い。 入れ替わりで、大荷物を抱えたチョッパーたちがぞろぞろとムサ苦しく入ってきた。三度戻ったサンジは、すでにナミたちがいないことを確認するとあからさまにガッカリ肩を落とし、何やら作業を開始する男どもを無視してマグロに挑む。 「サンジは何をやってるんだ?」 折り紙で作ったチープな輪っかを壁に張り巡らせながら、チョッパーが楽しそうに訊く。するとフランキーはいかにも適当な感じで「兄貴募集してんだろ」と言い、あ、俺のこと待ってんのかと気付いて、申し訳なさそうにガラスに投げキッスした。 「すまねェが俺は今ちと忙しい。終わったら存分に兄貴と呼んで慕っていいぜ」 サンジは投げられたキスを足で叩き落とした。また溺れるように暴れている。 「料理長は良いですね、お魚ちゃん達と仲良く泳げて。そんなあなたに捧げるセレナード」 ブルックが男らしくも可愛らしい偽リトルマーメイドっぽい曲を演奏し、ウソップはいたく感激した。水槽の中に聞こえてないなんて、勿体無さ過ぎる。 演奏が終わる頃には部屋の中は一変、「サンジおめでとう」一色になった。例のチラシまで立派な立て看板になっているのには恐れ入る。 サンジは横目でちらりと室内を窺い、唇をアヒル仕様に尖らせて酸素を補給しに行ってしまった。手には一匹の魚もない。内心気になって仕方なかったに違いないのだ。あれは照れたときの表情だと、ウソップは知っている。 すっかりパーティ的な空間になったアクアリウムは、またウソップだけになったが、ほどなくして醤油をいっぱいに満たした小皿と箸を持って、我らが船長が現れた。 「あれ?サンジは?」 「息継ぎ中」 「俺もう我慢できねェよー。サンジサンジサンジー」 そのリズムの合わせて箸でガラスを叩くと、颯爽とサンジが姿を見せた。ルフィの醤油を目に留めると、グッと親指を立てて、任せろみたいなことをぱくぱくしている。ここへ来てようやく、サンジは料理人たる自分に立ち返ったらしい。 「いけ、そこだ、あー、頑張れサンジ!!」 右へ左へ行くサンジと呼応してルフィの体が揺れる。醤油が数滴床に垂れる。思わずつられてウソップの体も揺れてしまう。 「まだ捕まらないのー?」 「他のお料理運んでしまうわよ」 リフト越しに上から女達の声が聞こえて、同時にキリキリとリフトが下りてきた。ホカホカと湯気を上げる晩餐を受け取ると、またリフトは上がっていき、それを3回繰り返したところでリフトは止まった。 テーブルに料理を適当に並べると、ルフィの箸が攻撃してくる。折角サンジが格闘前に残していった料理だ、獲られてはなるまいとウソップは応戦した。 「見てくれウソップ、ケーキ!ケーキ!デッケェ!」 チョッパーとブルックがウェディングケーキもかくやという派手なケーキを運び込み、フランキーが木枠で即席の舞台を作り出す。ナミとロビンも入ってきて、ケーキのクリームをぺろりと舐めた。 「自分のためにご苦労なこった」 ゾロが腹をぼりぼり掻きながらウソップの隣へ来たので、ルフィのお相手を譲ってやる。 そう、このケーキも料理も漁も、サンジ自身の誕生日パーティのためだ。けれども、サンジにとっては仲間に提供するたまの楽しいイベントに過ぎないのだろう。料理人は仲間の空腹と退屈を嫌うのだ。 全員が何となくアクアリウムに集まって、いつの間にか沈黙が落ち、16の目がサンジを追う。動きに合わせて体を揺らす。 いけ、そこだ、逃げるなマグロ! バカバカしいが、さながらショーのようにサンジを観賞し応援する。そして遂にマグロを捕獲すると、一同は一瞬息を呑み、ロビンが小さな声で「獲ったどー」と呟いた瞬間に歓声が弾けた。 万雷の拍手の中、ウソップはそっと座を辞し、タオルを取りに男部屋へ向かう。 これからサンジはパーティのメインイベントである、マグロ解体ショーを行うのだ。ゾロの言ではないが、自分の誕生日だというのにエンターティナーに徹するその姿、ご苦労なこったとウソップも思う。けれど学ぶべきところも多い。 そんなサンジは仲間たちからイジられ可愛がられ、そしてとても愛されている。そんなことを再確認して、ウソップは心温かくなった。 せめてフカフカのタオルで彼を労い、板前衣装にねじり鉢巻を巻くのを手伝ってやろう、と思うのだ。孤独なスターにも、付き人兼マネージャーくらいいても良いだろう。ギャラはマグロの唐揚げでも貰えれば充分だ。 多忙なる我らがスターに、乾杯。
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