包み込むように


あの子は強い子。
可愛くて、頭が良くて、威勢のいい子。
いつも花の様な香りを撒いて、船を彩る、この船の宝物。
みんな、あの子が大好きで。
私も、大好きになってもいいかしら。



「ここが私の部屋。でも、今日からは私とアンタの部屋、ね」

つい先程まで無人だったこの船は、すでに隈なく調査済みだったのだけれど。
特にこの部屋は、片付いていて小奇麗だったから、随分と寛がせてもらった後なのだけれど。
航海士だと名乗ったオレンジ色の髪をした少女は、私を改めてこの部屋へ案内してくれた。
小さな船の、小さな部屋。
海図や航海書が山積みされていて、テーブルには知らない誰かの写真。

「狭いけど我慢してよね。個室なんて贅沢なものはないから」

私が来なければ、この部屋は彼女の個室だったはずだ。
けれど彼女は、少しも気にした様子はない。

「ま、気に入らないなら隣に行ってもらっても構わないけど?」

この部屋の隣には確か、どうにも埃っぽくてまるで雑居房みたいな大部屋があった。
きっと男の子達の部屋。

「いいえ、素敵な部屋だわ。よろしくね、航海士さん」

笑いかければ笑い顔が返ってきて。
若い少女との共同生活が、少し楽しみになった。



彼女の朝は早い。
毎朝日の出と共に目を覚まし、身繕いもそこそこに甲板へ出て、空と波と風と語り合う。
昨夜の見張り番に何か変化がなかったかを聞き、問題がなければ素早くシャワーを浴びる。
キッチンではすでに朝食の匂いが漂い、男の子たちが起き出して来る頃、彼女は早めのコーヒーに一息つきながら、本日の航海計画を練る。
この船の根幹を支えているのは、この少女なのだ。
精神的な原動力は、言うまでもなく、あの得体の知れない船長の少年なのだろうけれど、彼の意思を実際に船に伝えるのは、このオレンジ色の少女の役目。
私は今までに、大勢の「航海士」と名乗る人間を見てきた。
それでも、彼女ほど抜きん出た才覚を思う存分発揮している航海士は、見たことがない。
朝食を終えると、彼女は今日の航海計画を発表し、舵取り確認をした後、甲板でその時間を過ごす。
天気がよければパラソルを出して、その下で本を読みふけるのだ。
垣間見た本の中身は、ごく専門的な気象学について。
蟻の行列のような細かく難解な文字を、まるで恋愛小説でも読むように、彼女はパラパラと捲る。
コックだという青年が淹れてくれる紅茶は、その時間の優雅さに花を添えて。
そして、甲板が男の子達の声で賑やかになれば、彼女は煩そうにページを捲る手を止めて、大声で一喝。
それが、彼女の最も好ましいところだ。
職業航海士ではなく、本の好きな大人しい少女でもなく、彼女は生き生きと、この船で息をしている。何も飾らず、ありのままの自分の姿で。
彼女がそう出来るのは。
彼女にそうさせているのは。
他でもない、あの、幼い男の子達なのだった。
彼女は彼らの、大切な、大切な宝物なのだった。

「ねぇ、ロビン」

いつしか、親しく呼ばれるようになった名前は、まるで真綿のように、私を包んでくれる。
夜、彼女と部屋にふたりきりになると、彼女は決まってそう言って、眠るまでの僅かな時間を私と過ごしてくれるのだ。
それは、時に今後の航海の相談であったり、ごく普通の女の子の打ち明け話であったり。
女友達など持ったことのなかった私にとって、この十も下の少女は、初めての喜びをくれる存在になった。
波に揺られて過ごす夜は、彼女とふたりなら、とても甘やかで。
彼女に促されるまま、私は珍しくお喋りになる。

「あんたの髪、すごくキレイね。特別なシャンプーとか、使ってるの?」

潮に痛んだ自分の髪を撫でながら、彼女はそう問う。

「いいえ、特に、なにも」

思わず私も、つられて自分の髪を撫でた。

「えー、ウソォ!いいな、キレイで」

私には、その太陽のような髪の方が、数倍綺麗に見えるけど。
そう言うと、年頃の少女は照れたように笑って、鏡台からブラシを取って、私の背後に回った。

「ね、少し梳かせて」

与えられるだけでなく、与えることのできる少女。
怒鳴って笑って泣いて叫んで。
この船に咲いた、強くて美しい花のよう。
けれどその花は、枯れるのを待つだけのひ弱な花じゃなくて。
踏まれても踏まれても立ち上がる、雑草の強さを持った、一輪の。
男の子達が、彼女を好きな気持ちが、よく分かるわ。
彼女を守りたい気持ちが、よく分かるわ。
自力で凛と咲く花でも、出来れば傷付かず、平穏に咲いていたいはず。
戦場に咲く花を、身を挺して守る騎士のように。
彼らは、彼女が大好きなのだろう。

「黒は濃いと藍に見えるって言うけど、あんたの髪は、それも通り越して紫に見えるわ」

優しくブラシを掛けながら、彼女は独り言のように呟いた。
他にもこうして、彼女に髪を梳いてもらった人間がいるのだろうか。
だとしたら。
なんて、羨ましい話だろう。

「換わりましょう」

ブラシを取り上げ、彼女を椅子に座らせて。
与えられた心地良さを少しでも返せたらと、髪を梳く。
彼女は目を閉じ、唇を微笑ませて、軽く鼻歌を。

私は、あの男の子達のように、あなたを守ることができるかしら。
それとも、女同士である私達には、もっと別の方法があるのかもしれない。
例えば、そう。
こうして、他愛無い時間を、共有することで。

彼女の太陽の髪に融けたブラシの先に、細い1本の髪を見つける。
控えめにブラシに絡まった長い髪は、私のものでも、彼女のものでもなく。
その空色の長い髪を、片手で摘んで、床に落とした。


ごめんなさいね。
今ここは、私の居場所になってしまったの。


そんなことには気が付かない彼女は、気持ち良さそうに、鼻歌を唇に乗せ続ける。


ねぇ。
私も、彼女を好きになっていいかしら。


心の中で問いかけた空色の髪は、床に落ちても、私を監視するように輝いたままだった。




空色の髪、本当にあったら結構気持ち悪いと思う。