vivid clock 3 |
「だー!やっと着いたじゃねェかこの迷子マリモ!ンなところまであの野郎と似てなくていいんだよ!」 家を出てから五時間近く経ってから、ようやく二人はゾロの実家から一番近い海へ到着した。真っ直ぐ歩いていればものの一時間とかからない距離だが、ゾロにとっては海は近くにありて遠きものなのだ。 道中、サンジは何やかんやと騒ぎ立て、女と擦れ違えばハートを飛ばして声をかけ、そのたびに振られては情けない顔でゾロの横に戻ってきていた。 しかし潮の香りが近くなると、サンジは自然と無口になり、その体で海の息吹を感じていて。 サンジは海に還るべき人間なのだと、ゾロは思った。 「何だかきったねェ海だなァ」 サンジは苦笑しながら靴を脱ぎ、素足を波に躍らせた。 「でも、海だ」 まだ三月で水も冷たいだというのに、とても気持ち良さそうに。 日が傾きかけていて、赤い空をサンジは眩しげに見詰めた。 「今日はな、俺、誕生日だったんだ」 ゾロは波打ち際に腰を下ろして、サンジの声と波の音に耳を澄ませる。 「アイツらと宴をする予定だった。俺は死ぬほどメシを作って、それをアイツらが死ぬほど美味そうに食うんだ。その中にはナミさんっていう極上のレディもいて、彼女が微笑んでくれるのが、俺にとって最高のプレゼントになるはずだった」 サンジは振り返りもせず、遠い水平線から愛しそうな視線を離そうとしなかった。 「大メシ喰らいのゴム船長、優しい嘘吐き、トナカイの船医、麗しい航海士に艶やかな考古学者」 「…クソマリモは」 「クソマリモは剣士だ。バカデケェ野望抱えて、魔獣みてェな目をしてる」 「仲間だったのか」 「だった、じゃねェ。仲間だ」 サンジはもう随分と長いことここにいる。この、ゾロのつまらない世界に。仲間とやらはさぞサンジを心配して探し回っているんじゃないだろうか。 ゾロは、もうサンジの話を疑ってはいなかった。むしろ信じたかった。どこか別の場所にある、華やかで輝かしい世界を。 「テメェ、剣道やってたんだって?お袋さんに聞いた」 「…昔のことだ」 「もうやらねェのか」 「……」 やりたくないわけじゃない。やりたくないわけがない。ゾロにとって剣道は、何もない自分の唯一の生き甲斐だったのだから。 「刀を捨てた魔獣は、ただの猫だな」 でも、自分はそのクソマリモという剣士ではないのだ。ゾロにはゾロの事情があり、生き方がある。 「なァ『ロロノア・ゾロ』。テメェだってロロノア・ゾロなんだろ?」 けれど海賊でもないし剣士でもない。ただの、潰れかけた時計屋の子倅だ。 「どんな世界でも、ロロノア・ゾロは魔獣のはずだ」 「俺は…ソイツじゃねェ。一緒にすんな」 「一緒だよ。俺にとっちゃ、アイツもテメェも同じゾロだ。俺によく懐いた、可愛いケダモノのゾロだ」 サンジが振り向くと、金の髪が夕日に光り、ゾロは眩しくて目を逸らした。 濡れた素足でそのまま靴を履くと、サンジはもう海を振り返らなかった。 自分の海はここではない、と。 けれどお前の海はここなんだ、と。 サンジは来た道を潔く引き返した。 そのよく伸びた背筋に、ゾロの苛立ちはいつの間にか消え、ただただ、憧れと、負けたくないという競争心だけが残った。 負けたくないのはサンジなのか、魔獣と称されるもうひとりの自分なのかは、分からなかったけれど。 部屋に戻ったら、片隅に放り出したままの竹刀を、もう一度だけ握ってみよう。 ゾロは立ち上がり、前を行くサンジを追いかける。 「おいサンジ」 尻ポケットから潰れた財布を出し、ゾロはくちゃくちゃの紙幣を一枚差し出した。 「誕生日プレゼント」 サンジの積み立ては、あっという間に溜まっていて。 あと一枚あれば目標額に到達することを、ゾロは母親に聞いて知っていた。お金が溜まったらサンジくんは本当にいなくなっちゃうのかねェ、という母親の寂しそうな声を思い出す。 サンジは目を丸くしてそれを見詰め、クッと喉の奥で笑って。 「寒ィことすんな。ロロノア・ゾロは万年金欠病のはずだぜ?」 そうゾロの頭を叩くように撫でたのだった。 金を受け取らなかったサンジは、翌日いつものように洋食屋へ働きに行った。 そして。 更にその翌日、ゾロが店を開けると同時に、サンジは客として、あのガラスケースの前に立った。 「腕時計のベルトの交換か?」 そう軽口を叩けるほど、ゾロは晴れやかな気持ちだった。 久し振りに握った竹刀が、思いの外手に馴染んだことが、ゾロを安心させたせいかもしれない。 「ヘッ、今日は俺、お客様なんだからな。もっと諂え!」 「誰が」 「かっわいくねェなァ!あんまナメた口利きやがると、札束で往復ビンタすんぞ」 「へーへーお客様。何をお求めで」 「コレだ」 サンジが大袈裟に指差したのは、もちろん銀の懐中時計、十八万円也。 今思えば、なぜこの時計が結構な昔からゾロの家にあったのか、まるでその意味が分からない。それに、その時計を手にしても何も起こらなかったら、サンジはどうするつもりなのだろう。 ゾロは今更ながらサンジに時計を渡すのが少し気がかりになり、受け取った札を数える手が遅くなった。 「何してんだ早くしろ」 焦れたサンジがガラスケースを乱暴に叩くと、元々古かったガラスがパリンと割れてしまう。 「…オイ」 「…悪ィ…」 「何の音?」 奥から母親が出てきてその様子を見ると、ケースとサンジの顔を交互に見比べ、寂しそうに言った。 「サンジくん、本当に行っちゃうの?」 「…戻れるかどうかは分からないけど…でも俺は、帰らねェといけないから。優しいマドモアゼル、ご恩は一生忘れません」 「ずっといて欲しいなんて、わがままだものね…」 「マスターにもよろしく伝えてください。世話になったけど、何ひとつ返せなくて」 「そんなことないよ。私もあの人も」 そう、笑顔を貰ったから。 「そら、持ってけよ」 ゾロが割れたケースから時計を取り出し、サンジに手渡す。 初めて触れた彼の手は、とても温かかった。とても。 「これだこれこれ。やっぱどう見ても、あの時計だ」 それは、心優しい嘘吐きが、サンジの懐中時計にイタズラをして、秒針を逆回転するように改造してしまったものなのだという。 数年ぶりにケースから出された時計の裏には、その証拠となるべく、サンジの名が流麗な文字で彫られていた。 それがなぜ、この店にあったのかは分からない。 けれど分からなくてもいいとゾロは思った。 昔たまたま親父が持ち帰った懐中時計が、この灰色の世界と、サンジの鮮やかな世界とを結び。 そして、この寂れた時計屋にもほんの少しだけ、優しい色が灯ったという、それだけのこと。 空の上から、死んだ親父の得意そうな笑い声が聞こえるようだった。 サンジは感慨深げに時計を撫で、そして、母親を抱擁した。 「サンジくん…」 「さようなら、マドモアゼル」 懐中時計の十二時の上に付いた小さな突起をサンジが押すと、逆回転していた秒針が驚くべきスピードで、時計回りに回転し始める。 お別れだ、とゾロは悟った。 「じゃあな」 「ああ」 「走れよ、剣豪」 サンジはゾロを捕らえて。 「俺は海賊だから」 眩しく笑って、ゾロの唇を奪った。 ゾロと母親がビックリして目を見開いているうちに、サンジの体は霧のように、幻のように、時計と消えた。 かすかに、潮の香りを嗅いだ気がした。 そして寂れた時計屋は、何も変わらない日々が続いている。 けれど母親は逞しく元気になり、ゾロは再び竹刀を振り始めた。 割れたガラスケースは新しくちょっと値の張る洒落たショーケースと交換し、そこにはゾロが見立てた流行のブランド腕時計が並んでいる。 洋食屋の主人は、サンジがいなくなったことを心底残念がっていたが、すぐに次のアルバイトを雇ったらしい。 そのアルバイトは金髪に海の色の目をした、ゾロと同い年の青年なのだという。 今日あたり、ソイツを見に母親と夕飯を食べに行こうか、と。 ゾロの世界は今、ハッキリと色付いている。 |
オフラインにて、加筆修正サンジバージョンを出そうかと検討中。
サンジさんお誕生日オメデトウ!