酒と薔薇の日々 1


サンジは最近、思い悩んでいる。
とは言え、顔はダラしなく緩みっぱなしだし、自分でも気付かぬうちに鼻歌を熱唱していたりと、彼の毎日は、これでもかというほどに幸せ路線一直線だった。
何せ、ナミは相変わらずカワイイし、ロビンは麗しいし、ゴムはよく食べるし、トナカイは元気だし、鼻は鼻が長いし。
そして、マリモは…サンジのことが大好きだし、で。
サンジの日常は、今が絶頂かと思わせるほどに幸福なのだった。
では、そんなハッピーな彼が何を悩んでいるのかと言うと。

「……〜〜ッ、ダメだッ!どうすりゃいいんだこれから!」

考えただけで、キッチンの隅っこで膝を抱えて蹲っちゃいたいほどに恥ずかしい。
考えれば考えるほどにあり得なくて、打開策など見つかるはずもなく、自分でも泣けてくる。
サンジは夕暮れのキッチンで、差し込む夕日のせいだけではなく顔を赤くし、ジタバタと暴れまわった。もちろん火にかけた鍋から注意を逸らすようなことはなかったけれども。


サンジがこの船に乗り込み、グランドラインに入ってから、もう随分と時が経つ。
その間に仲間が増えたり減ったり、悲しいことも辛いことも、それを補って余りあるほどの楽しいことも経験した。
過酷な旅になるだろうと覚悟した海賊家業も板に付き、大切な仲間を亡くすこともなく、彼自身も非常に健康でハツラツと毎日船の上を動き回って。そして麦わらドクロの描かれた帆は、風を受けて膨らみ、元気に彼らを夢へと誘う。
とにもかくにも、順風満帆な日々。
そんな暮らしの中で、サンジは1つの恋をした。
いや、恋ならナミやロビンに対して毎日のようにしているのだが――もっと、違う何か。
使い古された言葉で言えば、生涯に一度きりの激しい恋を、サンジはした。
それは彼を成長させたり、逆に幼児がえりさせたり。
ゴタゴタのスッタモンダの挙句に、何とついこの間、見事成就したのだった。
相手は今も甲板で惰眠を貪る、世界一を目指す緑髪の剣士。
アホだし方向音痴だし、何だか人としてあり得ないほど怠惰な男だったが、その、夢を追う真っ直ぐな背中に、惚れてしまった。惚れて、焦がれて、欲してしまった。
自分にはない何かを持つ剣士は、いつだってサンジの横にいて。
焦がれた相手が傍にいるのに、それに手を伸ばさないでいられるほど、サンジは無欲な男ではなかった。
ゴツいし、ムカつくことも多い。全然タイプじゃないどころか、ストライクゾーンに掠りもしない大暴投の野郎だけれども、日に日に自分の中で大きくなる、剣士を欲する心を自覚しないわけにはいかず。
長い長いゴタゴタの挙句に、どうしてもサンジが口にすることが出来なかった言葉を、ある日突然、剣士の方から言ってきたのだ。

テメェに惚れちまった、と。

サンジはそりゃもう驚いたし、嬉しさよりも、今までの自分のシリアスな悩みは何だったのかと脱力の方が大きかった。
それでも。
盛り上がった勢いで体も結ばれ、サンジの想いは成就して、お天道様に申し訳ないほどのハッピーライフがサンジに訪れたのだった。
めでたしめでたし。

…と、そこで終われば本当にめでたかったのだが。
現実はそう甘くはない。ドラマや本のように、結ばれた途端ハッピーエンドのはずがなく、サンジの生活はその後も脈々と続いていくのだから。
かくして、冒頭の一文に戻るのだ。

サンジは思い悩んでいる。
幸せな日々の中で、たったひとつだけ。

(…二度目に寝るときは、どう切り出せばいいんだ…!?)

もう勢いは通用しない。二度目というのは、確信犯的な要素がある。
自分から誘うのは絶対ナシだ。サンジ的に。
恥ずかしい情けない、マリモ相手に欲情している自分が悔しい。
けれども――一度味わってしまった、惚れた相手の温もりを思い出すたび、サンジの体は熱く震え、泣きたいほど焦がれてしまって。
手に入れる前よりも、手に入った後のほうがずっと、我慢が利かなくなってしまった。

(ゾロ、ゾロ)

(テメェとヤりてェよ…)

たとえ自分が不本意な『受け入れる側』だったとしても。
あの痛みに勝る甘さと温かさを、欲しくてたまらない。




時を同じくして、夕日に染まった甲板でも、思い悩む男がいた。
言うまでもなく、ロロノア・ゾロだ。
誰がどう見ても眠っているようにしか見えないが、実は彼も心の底で深く悩んでいる。
考えているのはもちろん、あの金髪のコックのこと。
アホだしユルいしウルサいしの三重苦のクセに、どうにもこうにも惚れてしまった相手である。
いくら惚れていたって、サンジのことが癪に障ることは多いのだが、それでも手に入れたいと思ってしまったのだから仕方がない。
料理はうまいし、文句をタレながらも世話好きなところだって、うるさく感じるときもあるけれど中々に好ましい。度を越えた女好きには閉口するが、あそこまで徹底されるとつい感心もしてしまう。金髪もイイ。白い肌もイイ。青い目は何かもうタマらん。
しかし一番ゾロを支配するのは、サンジの背中だった。
世の中を拗ねたように斜に構えた、少し猫背気味の背中。
ヒョロくてウスいのに、決して屈することを知らない背中だ。

いつも、いつもいつも横に居ればいいと思う。ずっと一緒に旅をして、ケンカをして、メシを作ればいいと思う。
けれど明日をも知れぬ海賊家業。自分が目指すは世界最強。
いつも、とか、ずっと、なんて言葉は、海の泡ほどに儚く頼りない。
だから、ゾロは躊躇わずにサンジを欲した。求めて、欲して、手に入らなければ諦めるつもりで。それでも諦めきれなければ、力づくでも。
結果、思わぬ幸運が転がり込み、ゾロの想いもまた、成就した。
抱き寄せたサンジは、いつもよりずっと小憎たらしく悪態を吐いたが、いつもよりずっとゾロを高揚させた。
触れれば温かく、口付ければ甘く、抱けば極楽だった。本気でちょっぴりお花畑が見えるほどに。

あれ以来、本当は一日と置かずに、サンジを抱きたくて堪らない。
隙あらば触りたいし、柔らかな髪に顔を埋めたり、細い首筋に噛み付いたり、小さな胸の突起を弄繰り回したりして、皮肉な言葉ばかりを発する唇から漏れる小さな喘ぎを聞きたくて仕方がない。無論エロいことを抜きにしても、何もしなくても傍にいたかった。
けれど。
どうにも、あの夜のことが夢だったかのように、サンジの態度が全くもって以前と変わりないことに、ゾロは戸惑っている。
もちろんサンジは努めて何でもないフリをしているわけで、内心ゾロに近寄りたくてたまらないのだが、そんなこと鈍いゾロには全然伝わっちゃいなかった。

(アイツにとってアレは、一晩のアヤマチだったか…?)

そんなふうに、未来の大剣豪が悩みこむのも無理はない。
確かにあの夜、サンジも自分に惚れていると言ったはずだったが、あれは場の雰囲気に流されただけなのかも、なんてガラにもないことまで考えてしまう。元々が緩くて夢見がちなコックである。一時の感情に絆された可能性はゼロとは言い切れない。
しかしいくら変わりがないとは言え、ゾロが夜の見張りの際に夜食を差し入れるサンジは、以前より少し長めに見張り台に顔を出したり、酒を欲すれば、ちょっと良い酒を出してきて、俺も飲もうかな、なんて言ってきたり。
明らかに、ちょっとだけその、優しい、ような気がするのだ。可愛らしいような、擽ったいような、ゾロ以外のハタ目にはサムい反応を見せたりするのだ。
だから、別に嫌われて距離を置かれているわけでもなく。
ただただ、結ばれた後に付随してくるはずの、恋人同士の色っぽさが生まれないだけで。
やっぱりあの時のサンジの言葉を信じたい、とゾロは強く思う。
ならば最初のように、こちらから仕掛けてみれば良いようなものだったが、ゾロはそれをどうしても出来ないでいた。

なぜならば、ゾロは今まで、同じ相手と二度寝た経験がなかったから。

ナミ辺りに知られれば、サイテーと罵られそうなことだが、事実なのだから仕方がない。
いつだって行きずりの女と、一度限りの夜を過ごしてきたし、もう一度あの女を抱きたいなどと思ったこともなかった。
一度きりならば、勢いでも何でもありだ。けれど、二度目となると。
何だかいよいよ本気っぽくて、いや、もちろん本気だけれども、ズブズブにハマってしまいそうな自分が何となく許せない気もするし、第一、どんなツラ下げて誘えばいいのか分からない。

いつものように自分勝手に強引にいけばいいのだろうか。
しかしそれでコックの気が変わったらどうする。

恋は魔獣をも臆病にしてしまう厄介なもので、ゾロはヤリたくて堪らない胸の内を昼寝のポーズに隠し、悶々と悩んでいるのだった。




そんな相思相愛のふたりの悩みは、どうにもこうにもバカバカしさを伴うものだったが、本人達は至ってマジメに悩んでいた。
手に入れた後の方が難しいだなんて、想像もしていなかった。
狭い船内、意地っ張りのコック、ガラにもなく奥手の剣士。
彼らの恋愛は最初の一歩で踏みとどまったまま、梃子でも動かぬ頑固さで、停滞してしまっていた。

初めての夜から月日は無情にもガンガン過ぎていき――
先にシビレを切らしたのは、短気の導火線がゾロより数ミリ短いサンジの方だった。



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