置いてきぼりベイベ


とうとう、サンジはクラスで一番年下になってしまった。
早生まれ仲間のクラスメイトが今日、誕生日を迎えてしまって。
グランドライン幼稚園さくら組で未だ5歳なのは、サンジだけなのだ。
この年頃の成長は、まる1年誕生日が違えば、体格も行動も格段に差が出てくる。
早生まれ組の中でも一番誕生日の遅いサンジは、揺れる黄色いアホ毛が愛らしいおチビさんだった。
それでも生まれ持ったものなのか、言葉はかなり達者で、知る限りの語彙を駆使してお喋りする姿が、非常に大人たちにウケていた。
サンジはもうすぐ6歳。
膨らみかけた桜の蕾が開く頃、卒園をして嬉し恥ずかし小学生になるのである。






「ね、サンジ。どれがいいかなぁ。迷っちゃうね」

母親が嬉しそうに、ランドセルのカタログを開いているので、サンジもその膝に座って覗き込んだ。
時代なのか、今やランドセルは赤と黒の2種類に留まらず、色も形もバリエーション豊かで、母親はどれが可愛い息子に似合うかと、ウキウキページを捲った。
サンジも始めの内は興味津々だったのだが、どれも今ひとつピンと来ない。
サンジが欲しいランドセルは、こんなオシャレな感じじゃなくて、ピカピカな感じでもなかったからだ。

「うーん」

思い描くランドセルがページを捲れども出てこないので、サンジは首を捻った。

「あら気に入らないの?でももう用意しないと、小学生になれないわよ」

小さな息子の頭を撫で、母親は尚もカタログを捲り、端々にドックイヤーを作っていた。
サンジが退屈しかけたその時に、お隣のドアが開閉する音が聞こえて、サンジは母親の膝を飛び降りる。

「またお隣?ご迷惑かけちゃダメよ」

「うん!」

息子の隣通いは今に始まったことではないので、母親はひらひら手を振ってその場でサンジを見送った。
サンジの方も慣れたもので、一杯に伸ばした小さな手でドアノブを器用に捻ると、元気よくお家から飛び出した。
サンジの家は築7年の分譲マンションで、新築で入居した時からお隣さんは同じお宅である。
無論サンジが生まれる前の話なので、彼が物心ついた頃にはすでに隣人とのお付き合いは当たり前のことであった。
お隣一家のお名前は、ロロノアさん。
若くて綺麗だけど、どこか肝っ玉の据わっている面白いお母さんと、その息子の二人暮らしだ。
息子はゾロといって、12歳の小学6年生。
毎日剣道の道場へ通っていて、帰りは大抵この時間なのだ。

「ぞーろー」

あーそーぼー、と続けないのは、恥ずかしいのでやめろとゾロがサンジに教育した成果である。
ゾロはよく出来た少年なので、自分によく懐いたお隣のチビ助の面倒をよく見るが、それでも一端の小学生として、園児と遊ぶなどと噂されてはプライドに障るのだ。
呼び出して間もなくドアは開けられ、中からゾロが現れる。

「よう、入れよ」

「うん!」

ゾロの母親は、平日は働きに出ているので、この時間のゾロは家に一人なのである。
サンジちゃんが来てくれるとゾロも寂しくないわ、などとゾロの母親が言ったので、サンジは気をよくして、ますます隣家に通い詰めているのだ。

「あのな、あのな。おれもうすぐしょうがくせいになるんだぞ。ランドセルかってもらうんだぞ」

家に上がるなり、サンジはゾロの足に纏わり着いて捲くし立てた。
ゾロは慣れた仕種でサンジの後頭部を軽く押しながら、リビングへと促す。

「くろくて、かっこいいやつ。でもな、本にはおれがほしいの、でてなかったんだ」

「ヘェ、黒いのなんて、どこにでも売ってそうなもんだけどな」

「ちがうんだ、くろくてちょっとつぶれてて、かっこいいやつなんだ」

「ふーん」

ゾロが麦茶を注ぎにキッチンへ行ってしまったので、サンジはリビングを見回した。
きちんと置かれた竹刀と、ソファに投げ捨てられた胴着と黒いランドセル。
ゾロはいつもランドセルを片方の肩にかけて、もう片方に竹刀を背負うのだ。
なんだか悪っぽい感じで、サンジ的に物凄く格好良いのだ。

「オラ、飲むだろ」

冷えたコップが、プニプニの頬に押し当てられて、サンジは冷たさに跳ね上がった。
それに軽く笑って、ゾロは床に腰を下ろす。
背も高くて、顔も大人びて、最近は声もちょっと低い感じ。
サンジにとってゾロは、果てしなく大人なのだった。
しかし。
春になれば、同じ小学生。
小学生になったサンジは、すぐに背が伸びて声も低くなって、ゾロと一緒にお勉強できるはずなのだ。待ち遠しくてたまらない。

「なぁゾロ、おまえのランドセル、どこでかったんだ?」

「あ?どこだっけかなー。そこら辺の用品店だろ、多分」

「おれもそこでかうぞ。だってかっこいいもんな、これ」

サンジはゾロの潰れてヨレヨレのランドセルを指差して笑った。
どう贔屓目に見ても、6年間使ってくれてありがとう、な代物だ。ボロボロである。
これがカッコいいなんて、ガキはよく分からん、とゾロは思った。
しかしサンジには、ちょっと悪っぽい感じに肩に引っ掛けられるこのランドセルが、羨ましくてたまらなかったのだ。
あまりに目を輝かせているものだから、ゾロはつい、小さな幼馴染に言ってしまった。

「そんなに欲しけりゃやるよ」

瞬間、サンジはパッと嬉しそうに笑ったが、すぐに眉を下げて言った。

「でもそうしたら、ゾロはどうすんだよ?ランドセル、ないとこまるだろ」

「困りゃしねェよ。俺は中学に上がるから」

何気なく言ってしまった後で、ゾロはハッと息を呑んだ。
これはサンジにはトップシークレットだったのだ。
すっかり忘れていたが、自分の母親からも、サンジの母親からも、言わないでおけ、と釘を刺されていたのだった。
何故ならサンジは。

「ちゅうがく…?」

ゾロは永遠に小学生だと思っていたから。
自分が小学生になったら、ゾロと一緒に勉強して、遊んで、登下校して。
一緒に、大人になれるつもりでいたのだから。





世の中には6・3・3の教育制度があるとサンジが知ったのは、この時だった。
現実の厳しさにピーピー泣き、ゾロに抱っこしてもらって家に帰された。
抱き上げるゾロは大きくて、きっとどれだけかかっても彼には追いつけないのだと思うと、幼心にも泣けてきた。

「あらあら、悪いわね、ゾロくん」

「すいません、思わず言っちゃって」

ゾロがサンジを手渡そうとしたが、サンジは頑としてゾロから離れなかった。
強い力でゾロの襟元を引っ張りながらも、ピーピー泣き続けた。

「もう泣くなよ、悪かったって」

「ぞろ…ぞろがぁ〜…」

ひとりで大人になっちゃうぅぅ。
言いかけた言葉は、鼻水に流れた。

「しょうがねぇだろ、こればっかりは」

「だってだってうわー」

「サンジ、ゾロくんも困ってるわよ」

「だってうわーぞろがあー」

嫌々と激しく首を振りながら、サンジはゾロの首根っこに顔を埋めた。
肌に直接涙と鼻水を付けられて、ゾロも母親もあーあと苦笑する。

「オイ泣き虫」

抱っこした腕を強くして、ゾロが囁く。

「俺に追いつきたかったら、早くでっかくなりな。一杯食って一杯寝て、早く一人前になれ」

そう言ったゾロの声は。
堪らない感じにセクシーだった、と後にサンジの母親は語る。

「俺は待っててやらないけど、お前が急げば間に合うかも」

「ほんと?」

「さぁな」

片眉を上げて笑ったその顔もまた、悪い男の片鱗が見えて、ゾクゾクしたと母は語る。
そして小さな小さなサンジは。
涙と鼻水でグシャグシャの顔をゾロの顔に近づけて、やくそくして、と小首を傾げた。





「あの時初めて、お前にゴクッときたんだよな」

十数年後、ゾロは語った。

「てめ、そんなガキの頃からホモショタか!!」

小さなサンジは、大きくなって。
けれど今もまだ、ゾロは待っていてくれないので。
まだまだ急いで、デカくならなければいけないのだった。




サン誕のつもりが早すぎたので。
張り切りすぎだぜベイベー。